【思わず人に教えたくなる】日本の帰化の歴史
外国籍の方が、日本国籍を取得する制度を「帰化」と言います。この制度は、時代の変遷とともに変化しています。ここでは、日本の帰化の歴史をご説明します。
明治初期の帰化制度
現在の帰化制度の前身となるものは、1873年(明治6年)に公布された太政官布告「内外人婚姻条規」、「外国人婚姻条規」です。
これは、1858年(安政5年)の日米修好通商条約以来、外国人との接触機会が増加したことにより、婚姻関係が生じたために執られた制度です。また、戸籍法との兼ね合いを考え、統一的な法律の規定を設ける必要があったためです。
その後、実際の「帰化法」は、大日本帝国憲法の制定の兼ね合いから、「国籍法」と合わせて議論されていきました。結果的に、帰化制度は独立した制度、独立した法の制定という形ではなく、1898年(明治31年)に成立した「国籍法」の中に含まれることで、確立されたのです。
戦後の帰化制度
戦後の日本は、連合国の占領下に置かれました。但し、直接的な統治ではなく、政府、議会の存続が認められる一方で、占領当局(GHQ)の指令によって、様々な分野で改革が行われました。
帰化制度に関連する施策としては、先ず在日の旧植民地出身者である朝鮮人、台湾人の「参政権」が停止されました(1945年・昭和20年)。その後1947年(昭和22年)に天皇最後の「勅命」として公布された「外国人登録令」によって、「「台湾人のうち内務大医の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」とされました。
これにより、台湾人、朝鮮人は日本国籍を持っているが、外国人としての登録を行い、それを証明するための「登録証明書」を常に所持していなくてはいけない、ということになりました、
その後1952年(昭和27年)に、旧植民地出身者は、「当分の間、外国人」から「日本国籍を喪失した外国人」となったのです。これにより、日本国籍を失った台湾人、朝鮮人が再び日本国籍を取得するための「帰化制度」が作られたのです。
現在の帰化制度
現在、日本の在留する外国籍を持つ方が、日本国籍の取得を希望する場合、申請書、必要書類を法務局へ提出し、審査を受けなければなりません。このような帰化申請に関するルールは、「国籍法」に規定されています。
書類の内容を精査することはもちろん、法務局の担当者によって、実地調査も行われます。職場、学校の罪責確認を始めとして、近隣への聞き取り調査も実施されます。このような調査を経て、早ければ1年、時間が掛かる場合は2年程度で許可が出されることになります。
まとめ
日本の帰化制度は、明治初期に始まりました。戦後大きく改革され、現在のような制度、国籍法に則り、厳密に審査する方式になりました。