気になる!日本に帰化した著名な中国人をまとめてみました

外国人が日本に帰化すると、日本国籍を取得できます。

世界各国からの外国人が日本に帰化していますが、今回は、日本に帰化した著名な中国人について解説します。

石平(せきへい)

日中問題や中国問題を中心に活動している評論家で、2007年に日本に帰化しました。

1962年に中国の四川省成都に生まれましたが、4年後に文化大革命が起こったことから、教師であった両親が大学を追放されてしまい、以後漢方医の祖父のもとで育てられました。

1980年に北京大学の哲学部に入学すると、幼少時代の暴圧的な政治の再来を防ぐために、民主化運動に熱心に参加するようになりましたが、当時の天安門事件などをきっかけに失望します。

その後日本での留学をきっかけに、中国の古代の文化を独自に発展させたとして日本文化を高く評価し、次第に愛日主義者となっていきます。

2002年、中国での反日感情をレポートした書物によって評論家としてデビューし、2007年に帰化しました。

呉清源(ごせいげん)

囲碁の棋士で、1936年に日本に帰化した後に一度中国籍に戻りましたが、1979年に再度日本に帰化しています。

1914年に中国福建省で生まれ、幼少の頃から父親に囲碁の手ほどきを受けます。

囲碁の天才として、当時住んでいた北京で評判となった後、1928年に来日。瀬越憲作名誉九段に入門した翌年には、飛付三段となりました。

その後、速度とバランスを重視した「新布石法」の考案や、革新的な布石を打ったことなどから、ら「昭和の棋聖」と称されました。

2005年には日本棋院から囲碁殿堂にノミネートされましたが、まだ修行中の身であるとして辞退しています。

2014年に老衰によって満100歳で逝去しましたが、翌2015年に遺族の意向で正式に囲碁殿堂にノミネートされました。

呉錦堂(ごきんどう)

明治から昭和にかけて活躍した貿易商で、1904年に日本に帰化しています。

1855年に中国の浙江省に生まれ、幼少の頃から農家の長男として実家の農業を手伝っていました。

1885年に来日して雑貨の行商として蓄財した後、1890年代にマッチを輸出する会社を設立して成功を収めたことを皮切りに、貿易商として頭角を現しました。

日清戦争中にも危険を顧みずに神戸で商いを行ったことで、関西地方の実業界の重鎮になります。

その後1926年に死去するまで、工業生産の勃興・私立学校の設立・開拓事業への貢献など、様々な分野で活躍しました。